2012年6月25日月曜日

7/17 鹿背山不動尊 とらしょうしょう法要


鹿背山不動尊 とらしょうしょう

日時:7月17日(火)午後3時~
場所:鹿背山不動院境内にて
地図: http://p.tl/ggPO 

■護摩焚き法要(五穀豊穣・心願成就)
※どなたでもお参りしていただけます。


【由 来】

毎年、旧暦の5月28日にお勤めします「とらしょうしょう」は、
鎌倉時代に成立したとされている『曽我物語』に由緒を持つ
行事です。

この日にお参りすると、女性の願い事がかなうといわれてい
ます。

ご本尊として岩窟の内におまつりされています、立ち姿の
不動明王さまの向かって右側には、

「石大工末次(いしだいくすえつぐ)」

左側に

「建武元甲戌十一月二十一日 願主結衆敬白」

と銘文を調査した佐々木利三さんが昭和19年(1944)『史迹と
古美術』(史迹と美術同攷会)に報告されて以来、制作年代が
わかる貴重な石仏として注目されました。また、制作者「末次」
の名前を持つ石仏「弥勒菩薩」が、当時の国鉄奈良駅前にあ
った食堂の厨房にまつられていたこともあって、専門家のあい
だでは有名になりました。(この「弥勒菩薩」は、かっての下三
条村農業組合の管理となっていたので、現在は三条通りに建
物を建てて此処におまつりされていると聞いています)


鹿背山のお不動さまの制作年代は「建武元年(1334)」とはっ
きりしました。

日本史の政治的な時代区分では南北朝時代といわれますが
美術史的には、奈良・平安に続く鎌倉時代の後期の制作と位
置付けられています。

制作銘はありませんが、山の上に立っておられる「しょんべた
れ地蔵」は、その制作様式から鎌倉時代後期と位置付けられ
てられています。

古代・中世の奈良から鹿背山に通ずる道があったことは、
故永嶋福太郎さんが「鹿背山道」として紹介されていました。
第4次まできた鹿背山城跡の発掘成果によれば、鎌倉幕府の
守護・地頭を奈良の地に入れなかった興福寺が、大和一国を
守るため北の砦の役をはたらいていました。

丁度、小字大木谷・柳谷周辺は奈良から
鹿背山に入る入口にもなっていたと想像するとも可能となります。

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